Heart of Darknessで見つけた品詞の変化

翻訳・ことば

Heart of Darknessの2種類の訳書(中野訳; 1958、黒原訳; 2009)を分析するシリーズの記事です。これまでの記事では、語彙やセリフの語尾などの細かい部分に焦点を当ててきましたが、今回からはもう少し大きな視点で翻訳について考えてみます!

今回は、原文の品詞などは、訳文でいかに変化しているのかを分析してみたいと思います。

原文の言葉の形(語の活用など)を変えて訳出してしまうと、描かれるイメージや切り取られる場面も同時に変えてしまうことにつながります。この点に関しては、品詞の変化について認知言語学の視点から考えてみた記事もご覧ください!

品詞が変化するとは一体どういうことなのか、一つ例を使って具体的にみてみましょう。
原文:The rain prevented us from going on a picnic.
(字義通りの訳:が、私たちがピクニックに行くのを邪魔した。)
訳文:雨が降ったので、ピクニックには行かなかった。

原文と訳文はどちらも同じ内容を伝えてはいるのですが、“The rain”の品詞が異なりますよね。原文では名詞の“rain(雨)”ですが、訳文では動詞を含む節の「雨が降った」になっています。言い換えれば、原文では「情景」を表していたものが、訳文では「動き」を表すものに変化してしまったと言えます。となると、それぞれから描かれるイメージは異なるのではないでしょうか。

この点は翻訳とも深く関わっていることが容易に想像できるかと思います。ましてや、翻訳では、このような品詞の変化が頻繁に現れるような気すらします。実際にはどうなのでしょうか?一緒に確認してみましょう!

Catford(1965/1978)の翻訳シフト(Translation shifts)

変化をみるにあたって、Catfordの翻訳シフト(Translation shifts)を参考にしました。
翻訳シフトとは、次のように定義されています。

some of the changes or ‘shifts’ which occur in translation (p. 73)
「起点テクストを目標テクストに翻訳するときに起きる小さな言語的変化 」(河原, 2014, p.120)

つまり、上でご紹介した「原文と訳文の品詞の違い」のように翻訳のなかで起こる変化のことを、Catford(1965/1978)は翻訳シフトと呼びます。その中には、レベルのシフトとカテゴリーのシフトという2種類が存在します。

・レベルのシフト:一方の言語にはない文法事項を語彙で説明することで起こる変化
カテゴリーのシフト:文法上の変化

今回は、目に見える変化で比較的見つけやすい「カテゴリーのシフト」を探してみたいと思います。さらに、カテゴリーのシフトは以下の4種類に分けられます。

 1) 文法構造のシフト
 2) 品詞のシフト
 3) ランクのシフト:文、節、語群、単語などの変化(後ほど詳しくご説明します)
 4) 体系内シフト(おおよそ同じ文法体系を持つ言語間(e.g. 英仏間)での文法項目の変化)

このように細かく分られたシフトを用いることで、原文と訳文を見比べた時の「何かが変わった!」という感覚を言葉で説明することができるのです。また、どういう点で原文と訳文は等しいと言えるかを考える一つの指標になります。しかも、シフトは、翻訳者がどのような方法で訳したか、言葉が果たす役割がどのように変化したのか、を知るヒントにもなりうると考えています。

今回は、特に、2)品詞と3)ランクのシフトについて分析してみました。1)は情報構造にも関わるトピックで、次回の記事で詳しく扱います!ご興味のある方はそちらもぜひご覧ください😊

Heart of Darknessで見つけたシフト

それでは、実際の翻訳の中で、どのようなシフトがみられるのか調べていきましょう!

2) 品詞のシフト

まずは、品詞のシフトの例からみていきます。太字に注目してご覧ください。

 原文
(p.24)
I’ve seen the devil of violence, and the devil of greed, and the devil of hot desire; but, by all the stars!  these were strong, lusty, red-eyed devils, that swayed and drove men—men, I tell you.
中野
(p.40)
暴力や貪慾や情慾の鬼みたいなやつも知っている。だが、奴等は、すべて頑丈で、元気で、血に狂ったような眼をした悪魔どもだった、そしてそいつらが、人間、-いいかね、人間をだぜ-支配し、そして駆り立てていたのだ。
黒原
(p.42)
俺は悪魔のように暴力的なやつ、強欲なやつ、情欲の虜になったやつをこの眼で見てきた。しかし、そういうやつらは力が強く、欲望をたぎらせ、眼を血走らせた悪魔どもで、そいつらが支配してこき使っていたのは一人前の男どもだったんだ。

太字の部分には、どのような変化があったのでしょうか。それぞれの品詞を確かめてみましょう。

着眼点品詞
原文the devil of violence, …名詞+前置詞
中野暴力や貪慾や情慾の鬼みたいなやつ助詞+名詞
黒原悪魔のように暴力的なやつ、副詞

原文では名詞で表現されているところが、中野訳でも名詞で訳されています。しかし、黒原訳をみると、副詞に変化していることがわかります。黒原訳では、「悪魔のように」は「暴力的」の修飾語になってしまい、「どれぐらい暴力的であるか」の度合いを表す言葉に役割も変わってしまいました。

原文では、“the devil”は“seen”の目的語として直接的に比喩した表現なので、黒原訳は原文の表現とは異なってしまったと言えそうです。一方、中野訳では「鬼みたいなやつ」を「知っている(seen)」の目的語としているので、原文に等しいと考えられそうです。
(イメージされるものには、記事冒頭のイラストのような違いがあるかも…?)

余談ですが、“men”の一言でも中野訳(人間をだぜ)と黒原訳(一人前の男ども)ではかなり違いがみられます。このような工夫については、規範についての記事でも触れています☺︎

3) ランクのシフト ①

次に、ランクのシフトがみられた例をまとめていきます。

例に入る前に、そもそもランクとはなんぞや?を解決しておきたいと思います。
ランクとは、河原(2014)によると、階層的な言語単位のことです。具体的には、次のようなものが挙げられます。ここでは、句が一番小さな単位になり、文が一番大きな単位となります。

:いくつかの語が集まって、ある品詞に相当する働きをするもの。主語と述語を持たない。
  例)at the end/ for a reason/ under construction
:いくつかの語が集まって、文の一部を構成するとともに、それ自体の中に主語と述語を持っている。
  例)until the sun set/ though she is busy/ when you go out
:語が集まってあるまとまった意味を表現するもの。一般的には、主題について述べる主部と題述について述べる述部から成る。
  例)I love you./ My uncle visited me last week./ Because it was raining, we stayed in and watched TV.

(ロイヤル英文法)

では、訳例をみてみましょう!
太字部分はランクが変化したと思われる部分です。そこに注目しながら訳文をご覧ください。

原文
(p.21)
He was a young man, lean, fair, and morose, with lanky hair and a shuffling gait.
中野
(pp.34-35)
痩せた、色白の無愛想な男で、細い髪をもじゃもじゃ伸ばし、歩くと足を引きずるような癖があった。
黒原 
(p.38)
痩せた色白の若い男で、むっつりしていて、髪を長めに伸ばし、少し引きずるような足取りで歩いた。

どのようなランクの変化が起きたのか、詳しくみてみたいと思います。

着眼点ランク
原文a young man (…) with (…) and a shuffling gait形容詞句
中野男で、(…)歩くと足を引きずるような癖があった節(形容詞+「癖」+状態動詞)
黒原男で、(…)少し引きずるような足取りで歩いた。動詞句(副詞+動詞)

原文は、“a young man”を修飾する形容詞句として“with a shuffling gait”が使われていて、「情景」を描いています。同じように、句で訳出しているのは黒原訳でしたが、動詞句として訳出しているので、「動き」として捉えられてしまいました。一方で、中野訳はランクの変化を起こし、SVを持つ節として訳出されています。しかし、「ある」という状態動詞を用いることで、描く場面は「情景」となり、原文に近い形で場面が切り取られていることがわかります。

訓練者としては、原文では言っていない「癖」という言葉を付け足して良いのかな?という素朴な疑問は浮かびますが、文面からイメージする場面という点においては、中野訳の方が原文に忠実な傾向が見られました!

3) ランクのシフト ②

次の文は、私のような翻訳ビギナーからすれば、難しい原文です。難しく感じる理由はランクの変化にも関わるので、一度、以下の文を読んでみてください!

ランク
原文
(p.21)
The sun too much for him, or the country perhaps.句?
中野
(p.35)
この太陽がたまらなかったのかもしれんし、それともこの国そのものが、そうなのかな?
黒原
(p.38)
その人には陽射しが強すぎたか。この国が烈しすぎたか。

原文には動詞がありません!つまり、節にも文にもなっていないのです。英語の文学作品においてはそれほど変わった形ではないのかもしれませんが、原文をなんとなく理解できたとしても、日本語でどうやって表現すれば良いものでしょうか…。そこで、中野訳と黒原訳をみてみます。
中野訳は前半部分(下線部)はで訳しており、黒原訳ではとして区切って訳されています。やはり、原文と同様に動詞を使わずに表現することは、日本語の文法上、難しいのかもしれません。

次に、後半部分をみると、中野訳ではかなり曖昧な表現が使われています。「そうなのかな?」とはっきり言わないことで、原文の“perhaps”の不明瞭さを表現できているようです。一方で、黒原訳は、後半でも文で訳出しているため、描かれるイメージこそ原文とは異なりましたが、原文の内容を詳しく伝える工夫がされていることがわかります。

ここでも、これまでの記事で見えてきた傾向、「ニュアンスを大切にする中野訳」と「明瞭性を重視する黒原訳」の片鱗が見えた気がします。

考察

今回は、原文の品詞やランクがどのように変化して訳出されているのかという点に注目しました。このような変化は小さなことのように思えますが、どんな場面を切り取っているのか、どんなニュアンスを伝えたいのかに関わってきます。

中野訳では、品詞などを原文に近い形で訳出している例が多かったことから、原文に忠実な傾向がみられ、原文が持つ言葉のニュアンスを伝える姿勢がうかがえました!
反対に、黒原訳は語の形などを頻繁に変化させながら訳出していることがみられました。そのため、原文が持つ雰囲気とは少し異なるものを伝えているようにも感じられました。それと同時に、品詞やランクを変えることは、詳細な訳出を行う一つの手段なのかもしれないとも思いました。

まとめ

中野訳と黒原訳では、読んでいる時の印象がかなり違ったのですが、何がどう違うかと聞かれるとなかなか答えられないものでした。品詞やランクという文法事項を切り口に訳文をみてみると、ただ訳書を読むだけだったら見落としてしまいそうな形式的な変化にも気づくことができました。

とはいえ、こっちは名詞であっちは動詞だからどう違う、ということを体感することはあまりないかもしれません。でも、自分が翻訳をする時には、なんとなくテンポが良いとか自然な感じがするという感覚的な理由だけではなく、形式的にも原文と等しい訳文を生み出す練習をしていきたいと思いました。

ただ、翻訳する目的など様々なことを考慮する必要があるので、今回見たような品詞やランクが等しければ良い訳だとは言い切れません。それでも、「どのように」訳すことができるかということを考えることができて、楽しかったです。次回は、言葉の順番と意味の関係性について考えてみます😋

ご意見・ご感想を心よりお待ちしております(`・ω・´)

参考文献
Catford, J. (1965/1978) A linguistic theory of translation, Oxford University Press.
河原清志(2014)『翻訳シフト論の潮流と社会記号論からのメタ理論的総括』「金城学院大学論集 人文科学編」11(1), pp. 7-30.
河原清志(2014)「翻訳シフト」鳥飼玖美子(編)『よくわかる通訳翻訳学』(pp. 120–121)ミネルヴァ書房

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