名詞はモノ。動詞は行動。それだけですか?

翻訳のあれこれ

中学校の英語の授業を思い出してみてください。

「’desk’の品詞は何ですか?」
「…名詞です。」
「はい、正解です。これはモノなので名詞ですね。」
こんなやりとりありましたよね?

確かに、モノを表す言葉は文法上「名詞」と呼びます。
それに対し、行動を表す言葉は「動詞」だと教わりました。例えば、「ネコ」は名詞、「走る」は動詞。文法上の役割はそれで間違いありません。

では、「引っ越し」と「引っ越す」はどうでしょう? わざわざ確認する必要もないですか?
前者が名詞、後者が動詞。
ですよね? でも、「ネコ=名詞、走る=動詞」の例とは性質が違う気がしませんか?
この場合は指示されている内容が同じだからです。どちらにしても住む場所を変えることを表しています。
実は、ここに名詞と動詞の深い違いが潜んでいるのです。

その違いを探るべく、今回は認知言語学の視点に立ちます。
特に、高橋英光著『言葉のしくみ―認知言語学のはなし』を参考にさせていただきます。
それでは、品詞の定義から一緒に考えてみましょう!

品詞って?

「品詞って何だろう?」
そんな単純なことから始めるなって感じですか?
でも、日本語と英語という二言語を扱うと意外と複雑なんです。

wikipediaによると、品詞は
「単語を文法的な機能や形態などによって分類したもの」だそうです。
一般的な理解を簡潔に表していると思います。タイトルにもあるように、「モノだから名詞。行動だから動詞。」という説明に通じているようです。

ただ、品詞は言語によって数も種類も異なります。
例えば、英語/日本語にあって(◯)、英語/日本語にない(×)ものもあります。

形容詞は日本語にも英語にもありますが、実は違いもあります。日本語は述語になりますが、英語ではなりません。
このように考えると、同じ品詞でも言語によって役割も異なってくることがわかります。


じゃあ、品詞ってなんだ?その定義は何なんだ?という疑問が浮かび、言語学者は品詞を意味的に定義しようと試みました。結局のところ、言語によって特性があまりにも異なるため、文法上の役割の説明に終わりました。

つまり、品詞の定義は明確にはされていない、できなかったということです。
私たちが教わってきた説明は文法の役割にしか焦点が当てられていなかったのです。
では、言語学者ができなかった意味的な定義に目を向けてみましょう。

認知言語学からみる品詞の意味的定義

意味的な定義というと、ここでは文法上の役割だけでなく、
「どのように伝えているのか」ということも含んでいます。
そこで認知言語学の考え方にたどり着くのですが、そもそも認知言語学というと、ヒトの脳内を扱う学問です。
といっても、脳波とかの方じゃないですよ。どんなことを考え、どのように言葉を使用するかということです。
つまり、ヒトが中心の学問分野です。中でも特に重要視しているのは「物事の捉え方」です。

これを踏まえた上で、認知言語学的な品詞の定義をみてみましょう。

認知言語学の父と言われるLangacker (2008)は品詞には2種類あると述べています。

1. モノ的な認知を表す品詞:名詞、代名詞(日本語にはない)など
2. 関係的な認知を表す品詞:動詞、前置詞、形容詞など

ヒトが名詞を使用しているのは、「モノ」だからではなく、「ヒトがモノとして捉えている(=モノ的認知)」からなのです。そして、「あるモノ的認知とまた別のモノ的認知の関係を示している(繋いでいる)」のが動詞などであるということなのです。

抽象的な話でなんだかよくわからなくなってしまったかもしれませんが、例を用いて詳しく考えてみましょう。

ここからは具体的に考えていきたいので、先ほどの認知言語学の定義を言い換えます。

1. モノ的な認知を表す品詞(名詞、代名詞など)=静止画として捉えている
2. 関係的な認知を表す品詞(動詞、前置詞、形容詞など)=動画として捉えている

始めに触れた例を思い出してください。

「引っ越し」と「引っ越す」

「引っ越し」が名詞で表現しているということは、静止画として捉えているということです。
「引っ越す」は動詞を用いているので、動画として捉えているということになります。

今さらですが、そもそもどうして文法上の役割以外の意味的な定義をご紹介しようと思ったかというと通訳翻訳では原文と訳文が「同じである」必要があるからです。「同じである」ことを定義することはとても難しいことですが、静止画か動画かという選択肢は一つの要素かもしれません。例文を見ていきましょう。

Oxford Dictionaryの例文をちょいとお借りしてみました。

The family moved around a lot and she went to 15 different schools.

この文を訳すとしたら、どのように訳しますか?

家族は何度も引っ越したので、彼女は15校もの学校に通った。
家族の頻繁な引っ越しによって、彼女は15校もの学校に通った。

訳文①(動画)
訳文②(静止画)


このような訳を考えてみました。
訳の良し悪しは置いておいてください。
ポイントは下線部です。原文は‘moved’、つまり、動詞です。
ですが、訳文①は動詞、②は名詞です。ということは、訳文①は動画、②は静止画として捉えていることになります。ただ、原文は動詞なので、動画として捉えているわけです。そう考えると、訳文①は同じ捉え方なので、より正確な訳と言えるかもしれません。

『雪国』-冒頭

実際に、文学作品の翻訳でも同じ議論がされることがあります。
川端康成の『雪国』はご存知ですよね?あの有名な冒頭に認知的な問題が潜んでいるのです。

原文)国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。
訳文)The train came out of the long tunnel into the snow country.

訳文(動画)
原文(静止画)

原文は「雪国だった。」と情景を伝えているのです。
つまり、静止画です。
しかし、訳文は’The train came…into the snow country.’と、「電車がトンネルを抜けて雪国にたどり着いた」という電車の動きを捉えていて、動画で伝えていることになります。認知言語学から見ると、原文と訳文は「同じ」ではないのです。

同時通訳だったら…

この場合はどうでしょう?

She says that her parents have always been supportive of her and offer advice that is always seriously considered.

①彼女は両親はいつも協力的で真剣にアドバイスをくれると言っている。
②彼女のでは、両親はいつも協力的で真剣にアドバイスをくれるそうだ。

‘say’の訳出がまたしても①動詞と②名詞で捉え方が異なってしまいました。
ここまでの話に基づくと、①の方が正確なようです。
でも、もしこれが同時通訳ならどうでしょう? ②の方がsaysの意味を文の早い段階で出しています。そのため、②の方が次の訳出に臨みやすく、聞き手(読み手)にとっても理解しやすい可能性があります(詳しくは順送りって?)。そう考えると、名詞と動詞が違うからといって一概には誤訳とは言えない気がします。

まとめ

品詞には、これまで教わってきたよりはるかに深い意味があるということをお分かりいただけたでしょうか。
とはいえ、原文と捉え方が異なるからといって、必ずしも悪い訳だとは思いません。
通訳か翻訳かという訳出方法や訳出の目的に応じて必然的に変わってしまうからです。
ただ、訳文は表面的には原文と同じでも認知的には異なることがあるのです。この観点において、少なからず原文の意図を操作していることを理解しておくことは大切なことではないでしょうか。

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