言葉や情報の順番は意味の根幹?

翻訳のあれこれ

今回の記事は、Heart of Darknessの2種類の訳書(中野訳; 1958、黒原訳; 2009)を分析するシリーズのフィナーレです🎉
1週間を通して、語彙の変遷に注目したり、規範をちょこっと探ってみたりと、様々な側面から翻訳について考えてきました。そして、ラストは言葉(情報)の順番と意味に焦点を当ててみます!
このテーマは岡村の研究とも深く関わっており、ちょっと気合を入れすぎました!長めですが、ぜひお付き合いいただければ嬉しいです🥺 一緒にがんばってください、、、!

突然ですが、何かを書いたり、話したりする時に、どんなことに気をつけますか?

何かを伝えたい時に重要な要素の一つは、言葉(情報)の順番ではないでしょうか。

例えば、学生時代にありがちな、テスト前に先生が言うセリフを思い出してみてください。

a)「今日話したことは、テストに出るぞー」
b)「テストに出るのは、今日話したことやぞー」

どっちも同じ言葉(今日、話す、テスト)を使っていますよね。でも、a)とb)では言いたいことが微妙に違うのです!それぞれの主張を端的にいうと、以下のようになります。

a) 今日話したこともテスト範囲に含まれる
b) テスト範囲は今日話したことが中心

言葉(情報)の順番によって、意味が変わってくることがお分かりいただけたかと思います。これは翻訳とも密接に関連する問題ですよね。

通訳者・作家の米原万里さんも著書でこのように述べられています。

思えば、通訳や翻訳を介する以上、どんな単語でどんな語順で原発言者が語ったかということは、受け手には分からないのだ。分かっているのなら、通訳も翻訳も不要。お互い知りたいのは、相手が一体何を言いたいのか、相手が自分に一体何を要求しているのか、なのである。(…)その本質を伝えることが訳者に何よりも求められているということになる。(p. 169)

『不実な美女か貞淑な醜女か』

今回の記事では、原文の本質(言いたいこと)は語順に反映されていると考え、言葉や情報の流れ(情報構造)という観点から、Conrad著Heart of Darkenessの中野訳と黒原訳を分析してみました。通訳や翻訳をする際には、どのように語順を意識すれば良いのでしょうか?

情報構造(information structure)とは

情報構造(information structure)とは、Haliday(2004)が提唱した情報の流れに関する考え方です。

この考え方には、2種類の構造が含まれています。一つは、発信者(書き手・話し手)の視点に立ったもの。もう一つは、受信者(読み手・聞き手)の視点に立ったもの。今回は、前者に注目します。

情報構造に基づくと、文の構造は主題(theme)と題述(rheme)で成り立っています。

文=主題(何について)+ 題述(何が言いたい)

後半にある題述に文の主張や焦点が置かれるため、重要な情報は題述にあると考えられます。また、日本語では述語の直前英語では動詞の後ろにある情報に焦点が置かれるそうです。(cf:https://www.japan-interpreters.org/news/ti-research4/

具体的に、上でご紹介したa)の文で確認してみます。

a) 「今日話したことは、テストに出るぞー」
主題:今日話したこと(について)+ 題述:テストに出る(と言いたい)
→「テストに出る=テスト範囲に含まれてる」ことが言いたいことになります。

発信者が本当に言いたいこと」を正しく伝えなければならない通訳翻訳において、情報構造は決して蔑ろにできない要素なのではないでしょうか。

訳例をみてみよう

では、Heart of Darknessから例を4つ取り上げて、分析していきます。

  1. The sea-reach of the Thames stretched before us like the beginning of an interminable waterway. (p. 2)
  2. And indeed nothing is easier for a man who has, as the phrase goes, ‘followed the sea’ with reverence and affection, that to evoke the great spirit of the past upon the lower reaches of the Thames.  (p. 4)
  3. The tidal current runs to and fro in its unceasing service, crowded with memories of men and ships it had borne to the rest of home or to the battles of the sea.  (p. 4)
  4. It had known and served all the men of whom the nation is proud, from Sir Francis Drake to Sir John Franklin, knights all, titled and untitled—the great knights-errant of the sea. (p. 4)

1は個別で考えますが、2、3、4はひと続きの文章なので、分析も関連させて行います。

1. The sea-reach of the Thames stretched before us like the beginning of an interminable waterway. (p. 2)

この例では、情報の順番によって、描かれるイメージ(焦点)が変わってしまうことをご紹介します。
まずは、文全体をご覧ください。

原文
(p.2)
The sea-reach of the Thames / stretched before us / like the beginning of an interminable waterway.
中野
(p.5)
眼の前は、/ 涯しないテムズ河の水路が開けて、/ はるばる海の方まで展がっていた。
黒原 
(p.9)
テムズ河の河口湾は、/ ここから果てしない水路が始まるというように、/ 私たちの眼の前に延びていた。

次に、原文と訳文それぞれの主題と題述を確認してみましょう。上の表の太字部分が主題と題述に対応しています。

主題
(何について)
題述
(何が言いたい)
原文The sea-reach of the Thameslike the beginning of an interminable waterway
中野眼の前は、(はるばる)海の方まで展がっていた
黒原テムズ河の河口湾は、私たちの眼の前に延びていた

主題に注目してみると、「テムズ河」について述べたい原文に対し、中野訳では「眼の前」について述べているので、視点が原文とは異なっています。(中野訳の主語は「テムズ河の水路」ですが、何について話したいかという点で異なっています。)

題述に関しては、中野訳も黒原訳も原文とは異なりました。しかし、黒原訳では、原文の順番の通り(“stretched before us”)、「私たちの眼の前に」と「延びていた」を側においています。そう考えると、黒原訳は原文の情報構造に忠実に訳出していると考えられそうです。

厳密に言うと、後ろにある情報ほど重要度が高いと考えられるので、“like the beginning of an interminable waterway(水路の始まりのようだ)”が最後に訳出されることが理想的だと思います。
しかし、日本語では、動詞(述部)が文末に置かれることが多いため、“like the beginning of an interminable waterway”が“stretched before us”より先に訳出されることは致し方ないのかもしれません。そう考えると、動詞(述部)の直前に一番重要な要素が訳出されている黒原訳は、比較的忠実であると言えるのではないでしょうか。

2. And indeed nothing is easier for a man who has, as the phrase goes, ‘followed the sea’ with reverence and affection, that to evoke the great spirit of the past upon the lower reaches of the Thames.  (p. 4)

2)〜3)の情報構造を調べるために、ここでは、より細かい文法項目という点から原文と訳文の違いをみてみます。

原文
(p.4)
And indeed nothing is easier for a man who has, as the phrase goes, ‘followed the sea’ with reverence and affection, that to evoke the great spirit of the past upon the lower reaches of the Thames. 
中野 
(p.8)
敬虔と愛とをもって「海に生きてきた」ものならば、あのテムズ河の下流河区を眺め渡して、それが持つ過去の偉大な精神を思い浮かべないものはあるまい。
黒原 
(p.12)
私たちのように、いわゆる”海を職場とする”ことを敬意と愛着をもって経験した者には、テムズの河口湾を眺めて過去の偉大な精神を心に呼び起こすことはいともたやすいことだ。

原文は“nothing”を主語にとっており、いわゆる、無生物主語と呼ばれるものになっています。ところが、中野訳では、「〜もの(=者)はあるまい」と生物が想定される文になっています。一方で、黒原訳は、“nothing(is easier)”を「(いともたやすいことだ」と無生物のまま訳出しています。今回の文でも、黒原訳の方が原文の形式に近い訳出をしていました。

3. The tidal current runs to and fro in its unceasing service, crowded with memories of men and ships it had borne to the rest of home or to the battles of the sea.  (p. 4)

ここでの分析は、先ほどの2の文(原文・訳文)とのつながりがポイントとなります。
まずは、文全体をご覧ください。

原文
(p.4)
The tidal current runs to and fro in its unceasing service, crowded with memories of men and ships it had borne to the rest of home or to the battles of the sea.  
中野 
(p.8)
不断の恩沢をもたらしながら、あるいは故郷の安らかな休息へと、あるいはまた海の戦いへと、数知れぬ人と船とを載せて送った、その様々な想い出を秘めたまま、今もなお絶え間なく満干を繰り返しているのだ。
黒原 
(p.12)
干満をくり返して、休みなく奉仕を続ける大河の流れは、船乗りたちを憩いの場である家庭へ帰したり、闘いの場である海へ送り出したりしてきた記憶に満ちている

次に、原文と訳文それぞれの主題と題述を確認してみましょう。

主題
(何について)
題述
(何が言いたい)
原文The tidal current(had borne) to the battles of the sea
中野φ満干を繰り返しているのだ
黒原大河の流れ記憶に満ちている

まずは、中野訳からみていきたいと思います。
主題の対応箇所が明示的ではありませんでした。日本語では、主題(主語)を言わないことも多々あるので、不自然だったり間違っていたりするとは限りません。主題(主語)を省略できるのは、直前の文(これまでの文脈)と主題(主語)が同じである場合が多いのですが、中野訳の2をみると、「〜海に生きてきたもの」が主題になっており、3の原文の主題(The tidal current)とは異なり、題述も対応していません。そのため、原文の情報構造は反映されていないと考えられます。

一方で、黒原訳では、主題は原文と同じですが、題述が異なります。そのため、情報構造を反映していないように思えますが、実は、この後の流れを考慮すると、あながち不適切だとは言えないのです。

4. It had known and served all the men of whom the nation is proud, from Sir Francis Drake to Sir John Franklin, knights all, titled and untitled—the great knights-errant of the sea. (p. 4)

最後の例文です。直前の文と関わりが深い一文になっています。
まずは、文全体をみてみましょう。

原文
(p.4)
It had known and served all the men of whom the nation is proud, from Sir Francis Drake to Sir John Franklin, knights all, titled and untitled—the great knights-errant of the sea.
中野 
(p.8)
サ・フランシス・ドレイクの昔から、サ・ジョン・フランクリンに至るまで、この国民のもって誇りとする海の騎士たち-そうだ、彼等こそ真の騎士だったのだ。爵位の有無など、それがなんだ-を、この河はことごとく知っているばかりか、身親しく奉仕して来たのだった。
黒原 
(p.12)
その流れはこの国が誇りとする男たちを一人残らず知り、彼らに奉仕してきたのだ。サー・フランシス・ドレイクからサー・ジョン・フランクリンに至るまでのそうした男たちは、その称号を持つ持たないに拘わらず、全員が騎士-海を遍歴する偉大な騎士たちであった。

次に、主題と題述を確認してみます。

主題
(何について)
題述
(何が言いたい)
原文It (the Thames)(had known and served) the great knights-errant of the sea
中野この河身親しく奉仕してきた
黒原その流れ海を遍歴する偉大な騎士たちであった

原文の主張は「河が奉仕したのは海の騎士だ」ということですが、中野訳では、「河が奉仕した」ことに焦点が置かれてしまっています。その点において、黒原訳は、原文が主張したい「海の騎士」を最後に訳出しており、原文と同じ主張ができていると考えられそうです。また、4の焦点は、河のこれまでの話(過去の経験)なので、3の文末で「記憶」に焦点が置かれることで、文と文の関連性が伝わりやすいのではないでしょうか。

前後のつながりという点で、中野訳をもう一度みてみると、原文では文頭に述べられている“It had known and served all the men”を最後に訳出しているため、主題が題述になってしまっており、主張が変わってしまいました。そのため、読者は前後の情報、つまり、3. 河の記憶と4. サ・フランシス・ドレイクなどで示す歴史(記憶の詳細)とを繋ぐことに難しさを感じるかもしれません。

考察

情報構造という点においては、黒原訳は原文の情報構造に忠実に訳出されている印象でした。つまり、原文の主張を再現することに成功していると考えられます。

反対に、中野訳は原文との違いが目立ちました。でも、それによって、見えてきた特徴もあります。中野訳では、「眼の前は」や「〜なものはいない」と、語り手の視点から語られているという臨場感があったと言えるかもしれません。

情報構造(情報の流れ)という概念が意識され始めたのは、おそらくここ十年から二十年足らずではないでしょうか。そのため、それ以前の作品では語順がもつ意味を考慮する機会は少なかったと想像できます。今回の2種類の訳文は、そういった翻訳者の意識、あるいは、規範も反映されているとも感じました。現代では、情報構造という概念はその用語こそ使わないにしても当たり前に意識されているかもしれませんが、実は奥が深く、「訳す」ことの本質に迫る問題だと思いませんか?

まとめ

情報構造は文の意味を司る重要な役割を担っていることが分かりました。翻訳は原文の思いを伝える大事な行為なので、原文を大切にしたいですよね。そう考えると、情報構造を守って、原文の主張(意味)をできるだけ正確に伝える努力は必要なのではないかと思います。

1週間を通して、Heart of Darknessを用いて翻訳にまつわるあれこれについて考えてきました。今回の中野訳と黒原訳では、様々な点で異なることが多かったです。そのような発見を経て、個人的には、「印象を正しく伝える中野訳」「情報を正しく伝える黒原訳」という認識になりました。

翻訳をする時には情報を正しく伝えることが必須である一方で、特に文学作品の翻訳では印象を正しく伝えることも重要だと思います。2種類の翻訳の良いところをたくさん吸収して、今後につなげていきたいです\\\\٩( ‘ω’ )و ////

ご意見・ご感想は大歓迎ですので、お気軽にお寄せください☺️
ちなみに、本文中の文の区切りは、基本的に岡村・山田(2020)に基づいています。

参考文献
Halliday, M. A. K. (2004). An introduction to functional grammar (3rd ed.). Arnold.
岡村・山田(2020)『「順送り訳」の規範と模範 同時通訳を模範とした教育論の試論』「MITIS Journal」1 (2), pp. 25-48.

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