2種類の訳書から考える受容化と異質化

翻訳のあれこれ

こんにちは!

みなさんは、本を読んでいて「あれ、これって元は英語の本だったのかな……」と思ったことはありませんか?またはその逆、何も気づかず読んでいた本が、実は翻訳された本だった、とか。

今回は、翻訳研究者ローレンス・ヴェヌティが2008年(初版1995年)に著書の中で論じた概念「受容化と異質化」の視点から、ConradHeart of Darkness (1899)と、その訳書『闇の奥』中野好夫訳 (1958) と黒原敏行訳 (2009) を見てみたいと思います!

受容化と異質化

突然理論の話になってしまいますが、上でも書いた通り、受容化(domestication)と異質化(foreignization)は翻訳研究者ローレンス・ヴェヌティが2008年(初版1995年)に著書の中で論じた考えです。

ヴェヌティの立場から言えば、「翻訳された感」があるのが異質化された翻訳、何も気づかずさらっと読んでしまえるのが受容化された翻訳となります。

つまり、受容化は読み手に違和感を抱かせない、つまり読み手側の文化に受容(domesticate)されるように訳すことを指す言葉です。

一方で異質化は、読み手に違和感が残るような訳、異文化を感じられるような訳にすることを指します。

というのが受容化と異質化の定義ですが、様々な文化や言語が混ざり合う現代においては特に、実際に翻訳された文章を読んで「これは異質化!」「これは受容化!」と判断するのは難しいのではないかと思います。また、時代の風潮だけでなく、個人の感覚にもよるところがあると思います。

そのため、「受容化」と「異質化」に対して、どの表現がどっち!と議論するのはあまり意味のないことかもしれません。

でも、本記事の最初に書いたように、異文化を感じられる訳とそうでない訳というのは、翻訳に携わる人にとっては特に、大切な視点なのではないでしょうか。

訳例―『闇の奥』より

そこで、本記事では『闇の奥』の黒原訳、中野訳を比較し、相対的に「受容化寄り」か「異質化寄り」かを考えてみたいと思います☺

まずは以下の表をご覧ください。

原文訳文
‘agent’ (p. 34)黒原訳:出張所の社員
中野訳:代理人(ルビ:エイジェント)
BON VOYAGE (p.14)黒原訳:『道中ご無事で』(ルビ:ボン・ヴォワイヤージュ)
中野訳:Bon voyage (ルビ:じゃ ごきげんよう)

1行目、黒原訳では“agent” を「出張所の社員」と訳しています。完全に日本語の訳です。目標文化に「受容」される訳ですね。それに対し中野訳では「代理人」に「エイジェント」というルビが振られています。

中野訳では元の英単語を知ることができ、この本はもともと英語で書かれていたことがわかります。さらに物語の中の話でいえば、日本語の中でもカタカナで英単語を織り交ぜることで、この会話が英語圏で行われているものであることが想像しやすいと思います。1行目の黒原訳に比べたらこちらは「異質化」された翻訳と言えるでしょう。

2つ目の例の“BON VOYAGE” では、今度は黒原訳で日本語にカタカナのルビを振るという方略が取られています。英語で話している中で、わざわざフランス語が用いられたことを示すために、この方略を取ったのではないかと考えられます。原文の読者も感じるであろう「異質感」がルビによって表現されていますね。

中野訳では“BON VOYAGE” はそのままアルファベットで記され、日本語のルビが振られています。ルビはあくまで本文を補助するものであると考えれば、本文で日本語でもなくカタカナでもない、アルファベットがそのまま用いられているという点で、この最後の例はどの例よりも「異質化」されているということができるのではないでしょうか。

文字の種類とルビから相対的にみる受容化と異質化

以上を踏まえて、以下の法則を見出しました。

左から見ていきましょう。

今回考えてきた訳例においては、漢字またはひらがな、つまり完全に日本語に訳された場合が一番「受容化」に近い翻訳だといえます。

次に、本文は日本語で、カタカナのルビを振って原単語も読ませるというのは「やや受容化」?くらいでしょうか。

その次に、本文がアルファベットで、ひらがなのルビが振ってある翻訳は、上で紹介した例の中では最も「異質化」された例でした。

上の図ではもう一つ、「カタカナのみ」を異質化に最も近いところに位置づけてみました。

ここは少し難しい部分で、これまでの記事でも何度か「ある外来語が一般の読者にどの程度浸透しているかがわからない」と書いています。原単語があまり日本文化に浸透していないのにもかかわらず、カタカナで音訳されている場合があれば、それが最も「異質化」なのかなぁと思い、図に含めてみました。

ちなみにこの図を作っている際に、「究極の異質化は、アルファベットをそのまま表記すること!」と考えたのですが、「あれ、それでは翻訳じゃないや。」と思い直し、深夜にひとりで「私アホやん、ふふ」となっていました。

そして、正確な数は見ていないのでここからは推測になりますが、中野訳(1958)では比較的異質化に近い訳が、黒原訳(2009)では比較的受容化に近い訳が多く見られるように感じました。

異質化が起こる要因のひとつとして、小倉(2008)では異国文化への強い敬意や憧れが挙げられています。日本の文脈においては、明治時代に欧米文化の影響を強く受け、それからしばらくは異国感を醸す翻訳が主流であったと考えられます。また、同じく小倉(2008)で「現在受容化された翻訳が受け入れられるようになってきている」と論じられています。

中野訳(1958)には「異質感」を醸す方略が多く、黒原訳(2009)では受容化の方略が多いという印象が事実であれば、時代の流れとともにわかりやすい(受容化された)翻訳が好まれるようになったという規範の変遷が、この2種類の訳書からうかがえるのかもしれません。

「わかりやすい翻訳が受け入れられやすい」と小倉(2008)が論じ、黒原訳が出版されてから10年ほどたった今、時代の風潮や翻訳者の規範はどうなっているのでしょうか?

おわりに

Heart of Darkness の訳書『闇の奥』より、受容化と異質化について考えてみました。いかがでしたか?

最後はかなり「分析色」が濃くなってしまいましたが、自分が訳した言葉を読む人にどんな印象を与えたいのか、どの層の読者をターゲットにしているのか、など、様々なことに考えを巡らせるにあたり、受容化と異質化はかなり重要な概念だと思っています。

ご興味を持たれた方は、下に参考文献も載せているのでぜひ読んでみてください。

ご意見、ご感想などお待ちしております☺

参考文献
Venuti, L. (2008). The Translator’s Invisibility : A History of Translation (2nd ed.) Routledge.
小倉慶郎(2008)「異化と同化の法則:foreignizationと domesticationはいかなる条件で起こるのか」『言語と文化』7,5170.
斎藤美野(著) 鳥飼久美子 (編著) (2013)「異質化と受容化(翻訳者の不可視性)」『よくわかる通訳翻訳学 』( pp. 136-137. ) ミネルヴァ書房.


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