ヨルシカの曲タイトル英語版を考えてみる ~古語の世界を探索~

翻訳・ことば

こんばんは、ヨルシカファンの翻訳者です。発売から一年以上経ち最近になって、誕生日に音楽画集『幻燈』を買ってもらいました。疲れた日に湯舟に浸かって『いさな』を聞くと、その綺麗さに心が震えて目から水が垂れてきました。水晶みたいな声で耳に届く、静かな光を孕むような言葉たちが頭の中を渦巻いて気持ちが澄み渡りました。

ヨルシカは、suisさんというボーカリストとn-bunaさんというコンポーザーの二人組バンドです。n-bunaさんの綴る言葉には古語がよく用いられます。曲名にも文語の用法や古語が用いられていることがあります。例えば先の「いさな」はクジラの古名だそうです。『風を食む』というタイトルの曲もあります。「食む(はむ)」は「食べる」の文語で、俳句によく用いられました。

文語とは
文章を書く時に用いる、日常の話しことばとは異なった特色を持つ言語体系。特に、平安時代の語を基礎にして独特の発達をとげた書きことばをいう。(コトバンクより)

日本語に古語があるように、英語にも今の時代ふつうは用いない語彙があります。

例えば英語の授業で暗記させられたyouの活用、you, your, you, yoursは昔、thou, thy, thee, thineと表現されていました。私はイギリス留学中に教会で聖書に触れる機会があり、初めてこれらの単語を目にしました。「thouはyouって意味だよ」と教えてもらい、理解を深めるために帰ってから日本語訳を調べると「汝」と訳されていました。今の私たちの語彙で単純に考えるとthouは「あなた」ですが、確かに「汝」を見ると「あなた」ではthouの訳として表現しきれていない部分があるのかもしれません。

「いさな」「風を食む」気になる英語タイトルは?

さて、ヨルシカの古語を含む曲名たちは英語圏のリスナーたちにどのように届けられているのでしょうか。

『いさな』はストリーミングサービスやYouTubeで公開されていないため、公式英語タイトルは見つけられなかったのですが、英語の歌詞サイトやファンのカバー動画では『Little Fish』や『Isana』と綴られていました。『風を食む』は公式YouTubeチャンネルで『Eat the Wind』となっています。

公式英語タイトルを踏まえた上で、それらを勝手に再考してみたいというのがこの記事の趣旨です。

日本語話者である私たちはn-bunaさんの言葉選びから古風な美しさを感じ取ります。それを英語話者にも伝えたい、そんな言葉がないか探してみたいというのが今回の動機です。

日本語の古語を英語にしてみよう

では、実際に3曲を取り上げて、英語タイトルを勝手に考えてみたいと思います。

「いさな」はクジラの古名。英語にすると…?

改めてご紹介すると、『いさな』は2023年にリリースされた音楽画集『幻燈』に収録されている曲です。 

そしてこの曲はメルヴィルの『白鯨』のオマージュ作品で、先にも書いたように「いさな」という言葉はクジラの古名です。余談ですが、最近YouTubeで公開されたライブ映像で『いさな』のパフォーマンスを見ました、というか隙あらば何度も何度も見ているのですが、舞台の照明が深海のようで、圧倒的な存在感と儚さが共存するクジラの“空気”を感じられたような気がしました。

ラテン語や古英語などを色々と調べ、辿り着いた英語タイトル案は「Livyatan(リヴィアタン)」です。2008年に発見された化石クジラにリヴィアタン・メルビレイという名がつけられたそうで、この属名を借りました。メルビレイというのはまさに白鯨の著者メルヴィルから取っているのだとか。綴りが聖書に基づいていることや、化石クジラの名であること、メルヴィルとの関係も彷彿とさせることから、Livyatanには曲の文脈を色々と盛り込んだタイトルになれる可能性があると思います。

参考:リヴィアタン・メルビレイ/Wikipedia

ちなみに、Cetacean(スィテイシャン)というのも候補でした。ラテン語の cetus(クジラ)、さらに遡るとギリシャ語の ketos(大きな海の生き物、怪物)に由来する、クジラ類を意味する単語です。これも、ラテン語にも由来していることからいさなの兄弟(姉妹?)になれるかもしれないと思ったのですが、発音が「スィテイシャンッ!」ってなんだか鋭い感じがして、「いさな」のひらがなで優しい雰囲気とはちょっと離れてしまう気がしたので候補落ちしました。言い方の問題かな?

「阻害音」「共鳴音」という区分があるらしい!

調べてみると、カ行やサ行などの濁音にできる音を阻害音、ナ行やラ行などのそうでない音を共鳴音とする区分があるみたいです。それぞれ音の作り出すイメージが異なり、濁音は大きい・重い・強いといったイメージを与えると考えられているそうです。おもしろい!
リヴィアタンは濁音が入っているという意味でも、クジラの大きなイメージと合うかもしれないですね。

参考:声に出したくなる⁉音象徴の世界 – 日本化学未来館 化学コミュニケーターブログ

古語「食む」の英訳にラテン語を使ってみよう

2021年にリリースされたアルバム『創作』に収録されている『風を食む』の英訳を考えます。公式YouTubeでの英語タイトルは『Eat the Wind』となっています。

冒頭にも書いた通り、「食む(はむ)」は古語ですね。今の時代に「お腹空いたん?サンドイッチ食めばええやん」とか言う人はいないと思います。そこで、eatのラテン語を調べてみました。

なぜラテン語?と思った方はこの記事を読んでみてください。
英語はいかにして世界の共通語になったのか – IIBC NEWSLETTER

現在形と不定詞を考えてみる

「食べる」はラテン語でedereと綴るそうです。ただ、動詞の活用が日本語と違っていて、色々と考えるポイントがあります。edereは能動態現在不定詞、つまり不定詞なのでeatではなくto eatを意味する単語のようです。食むの部分のみラテン語にしてみると、「Edere the Wind」——つまりは「風を食むこと」って感じになります。

edereの現在形もあるのですが、現在形にすると主語が特定されてしまうのです。現代英語でも、I(私)に続くeatは原型ですが、主語がhe(彼)になるとeatsと活用しますよね。ここで考えるのは、曲の中で風を食んでいるのは誰なのかということです。

歌詞を見てみると、最初に出てくる数回は語り手が食んでいる描写なのかと思いましたが、最後の最後には「今 貴方は風を食む」と歌われます。動作主が「貴方」なのであれば、適切な活用はedisとなります。

ただ、一番の歌詞では「僕」も登場していて、歌詞に登場する短歌の詠み手が「僕」であるとも、最初数回の風を食むの動作主が「僕」であるとも読める気がました。さらに、この曲のテーマを色々と調べてみて、そのテーマも踏まえて改めてイメージを膨らませながら聴いてみると、つかみどころのない風を口を開けて捕えようとする様子が強調されて感じ取れたので、風を食む「こと」がタイトルで不足ないと考えました。暫定案、「Edere the Wind」…かなぁ。

曲のテーマを調べている最中にn-bunaさんが寄せたコメントを読んだりもしたのですが、その感性と表現のすごさに全身とり皮みたいな肌になりました🐔

~ing形を考えてみる!

…というところまできて、このサイトを一緒に運営しているYukiに共有してみたところ「~ing形どう?『Thinking out Loud』みたいな」と言われました。確かに、~ing形から始まる曲タイトルにはなじみがある気がします。

調べてみると、edereの現在分詞はedensで、主語が変わっても形は変わらないのだそうです。風を食んでいる様子を描きつつ、主語が誰であっても違和感がない、かつ曲のタイトルっぽい形ということで、最終案はEdens the Wind」にしたいと思います!

「春」の意味を考え、ラテン語を調べる

最後に、2020年にリリースされたアルバム『盗作』に収録されている『春ひさぎ』の英語タイトルを考えます。

「ひさぐ」は「売る」という意味の古語です。ちなみに漢字だと「鬻ぐ」と書きます。…目を細めてもよく見えない(;´・ω・) 昔、売春のことを「春をひさぐ」と表現したのだそうで、春ひさぎは売春がテーマの曲です。

そして、たどり着いた英訳案を先にお伝えすると「Amorem Vendens」です。フレーズ全体がラテン語で、直訳すると「selling love(愛を売っている、愛を売る者)」というような雰囲気になるはずです。

まずはProstitutionの語源を把握しよう

公式YouTubeの英語タイトルは『Prostitution』と、直接的に売春を意味する言葉になっています。まずはprostitutionの語源から調べてみました。この英単語はラテン語のprostitutionemに由来するそうです。prostitutionemは、pro(前の、公の)とstatuere(立つ、設立する)が合わさってできた語で、公然の前に立つという意味が、特に性的なサービスを提供する行為を意味するようになったのだそうです。

「春」のニュアンスはまったく入っていないですね。

春/spring と性的な意味の関係って?

そもそも、春という言葉が売春や春画など、性的な意味を含む単語に使われるのはなぜなのでしょうか?これは冬を超え、暖かくなると生物の繁殖活動が盛んになるからだそうです。人間も例外ではなく、気温が上がると性ホルモンへの影響があるそうです。

「春」と性の関係を理解したところで、英語のspringに同じような意味があるのかどうかを調べてみました。結果、springには春ほど性的な意味を持たせる性質はなさそうでした。一番近いと思ったのは「spring fever」というフレーズです。寒い季節が終わって高まる気持ちや、それと同時に新しい環境に疲れる気持ち(日本語で言う五月病のような感じ)、あとは性欲を意味することもあるのだそうです(Spring fever/Wikipedia)。ですがこれは春の訪れによる人の身体のメカニズムに焦点を当てた言葉なので、春をひさぐという言葉の英訳には使えなさそうです。

性行為を比喩的に表す英語を探してみる

springを使うことを諦めて、他に性行為を比喩的に表現できる英単語を探してみました。roseやvenusなど色々な候補を見つけたのですが、それぞれロマンスや性的魅力を意味する言葉で、綺麗さが際立つ言葉だと感じます。私は『春ひさぎ』の曲調や散りばめられた花魁言葉などから闇や陰のような空気を連想していて、綺麗さが先だって入ってくる上記の言葉たちでは暗さを表現しきれない気がしました。

結果的として「ひさぐ」にうまくつながり、売春の空気感も表現できそうなのは「love」だと考えました。意味が限定されすぎず、「売る」にかかることでその行為の性質も読み取れるフレーズになる可能性を感じたからです。

そして、「風を食む」の英訳の時は「食む」部分のみをラテン語にしましたが、「春をひさぐ」は一つのフレーズなので、全体をラテン語にしてみました。

amor(愛)の目的語としての活用amoremに、売るという意味の動詞の現在分詞形Vendensを連ね、「Amorem Vendens」(≒selling love、愛を売っている、愛を売る者)を最終案とします。

おわりに

概念の近似値を模索していくような作業でした。翻訳の可能性を示せたのではないでしょうか。郷愁を持つ言葉の訳語には郷愁を、儚さを孕む言葉の訳語には儚さを持たせたいです。

今回調べてみるまでラテン語と古英語の違いすら知らなかったので(大学で習ったような気もするけど)、色々と知ることができて楽しかったです。でも知識量が本当に限られているので、もしかしたらずっと的外れなことを書いていたかもしれません。ここまで読んでくださった方、間違いにお気づきの際はぜひXのリプライやDMにてご指摘をください。

昼鳶とか花人局とか、他にも英訳を考えてみたいタイトルはあったのですが、長くなりすぎるのでまたの機会に持ち越します。

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